M5レポート @牡鹿半島。

7日の午後から牡鹿半島に入りました。
僕達はまず全てのミッションを通して訪れている十八成浜へ向かった。


着いてまず驚いたのが、
数ヶ月前までまだ手付かずの瓦礫が、全て綺麗に片付けられていたこと。
そして、避難所になっていた集会所には誰も居らず、
とても静かになっていた。
隣の家の方に状況を聞き、
近くに仮説住宅が出来て、皆がそこに移った事を教えてもらった。

車で5分も走らないうちに仮設住宅はあった。
そこで、カービーと兄弟のように仲良くなった漁長のエイエツさんと再会。

そこで、愛知県のボランティアの方が瓦礫を全て片付けてくれたことや、
仮設住宅へ入るまでの経緯などを教えてもらった。
なかでも、
『そろそろカービーが来るんじゃないかなって考えてたとこだったんだよ、
なんせ俺が涙を流した人とは長い付き合いになるんだ。』
と言う言葉にはとても温かく、嬉しい気持ちになった。
その後の、
『ところで、カービーは本当にハワイの人なんか?』
には、笑えました。
半年で5回も来るんだからそう思われても仕方ないですよね。
その後、鮎川の町へ行き、
物資を届けた。

残念ながらローカルサーファーの大澤さんは不在であう事が出来なかったけど、
奥さんにお会いでき物資を届ける事が出来た。
鮎川の町も瓦礫は少なくなったものの、
まだ片付ききらない状況があった。


堤防や道は満潮で冠水し、
新たに設けられた道は以前の道より、
はるか高く作られていた。
最期に小渕浜へ移動し、
M2以降、連絡を取っている木村さんたちに物資を届けた。


浜の女性は復興のミサンガなどを創り、
すこしでも漁村の復興の力にと頑張っています。
そして小渕浜にも大きな瓦礫の山が出来ていました。

この山について写真右のユキちゃんが言った言葉。
『ゴミはゴミだから撤去してもらえば綺麗になるんだけど、
あのゴミは私達の家なんだよね。
みんなの思い出のものなんだ。
だから、なかなか簡単に撤去してっていえないよね。』
この言葉は外から来ている僕達には決して分らない、
深い思いがあるのだと感じました。
帰りに通った十八成浜。

以前は綺麗な海水浴場だった浜辺も、
今は海鳥が少し休めるほどしか残ってません。
海には貝やワカメなどの漁場が少しずつ復活してきてます。
皆は元に戻ることはできないけど、
前に進もうと努力し頑張っています。

この綺麗な東北の海がまた元気になるように、
これからも支援し関わっていきたいです。


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